日記
twitterで「凍結」が話題になっている。「凍結」というのは運営によってアカウントが停止されることで、その判断基準が適当だとか悪意を持ったユーザーの通報を真に受けているとかそういう問題なんだけど、かなり今更という感じだ。
もちろん、twitterが一企業のサービスに過ぎないからといって、その使い心地に文句を言っていけないわけではない。むしろ、社会のほとんどの領域は完全に「私」でも完全に「公」でもないのであって、そういう領域を、皆にとって居心地の良いものにしようと考えたり働きかけたりするのは、現実的な方向だと思う。
それにしても、戦いにはならないなぁと思う。本社に抗議するとかはともかく、捨てアカウントを作って「凍結」の法則を探ったりするのとかは、いくら「兵法」っぽくても戦いにならないと思う。ニコニコ動画でアニメキャプに加工をかけて「手書きMAD」と銘打って、削除されるかどうか確かめる、みたいなノリを思い出す。
けど、無いよりいいのかもしれない。我々は「愁訴する農民」ほどにも、力関係の中にプレイヤー性を持っていない。だから「戦いをしよう」というのは現実的でないのかもしれない。
Wikipediaへの寄付、しておくか……。
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