自由について
エズラ記に出てくるエズラの落書き。
政治的というか、思想的なことを時々考える。僕はこれまで「個人の自由」や「平等」を原理主義的に支持してきて、今も大方そうなんだけど、にしても、「それは誰にでも通じる話なのか?」ということは最近疑問に思う。
そもそも、人というのは「自由でありたい」とあまり思っていない場合がある。「自由に選ぶことで納得したい」という価値観がある一方で、「自由に選んだわけではないからこそ大事にできる」という価値観もある。小さな例で言えば、星占いは自分の星座を自分で選んだわけではないからこそ説得力がある。恋愛で「運命の出会い」とか言ったりするのもそれに似ている。
「これは自由に選んだわけではないが大事だ」という人でも、同じことで他人が「自由にやっている」のを見せられると、損したような気持ちになることがある。「損したような気持ち」程度で済めばいいが、下手をすると、手元にあるものの「大事さ」が大きく失われてしまうこともある。それは魔法が解けるのに似ている。ある意味で、物事を自由にするということは、世界から星占いを減らしていくことである。僕は「自由」と「幸福」は別のパラメータだと思っているが、誰にとってもそうあるべきなのかは分からない。
だからといって、特定の価値観しか見えないようになっていたり、生まれた時から「部族の役割」が決まっているような社会の方がいいとは思わない。そういう状況から起こってくる諸々の苦痛と比べれば、魔法がどうのというのは相対的に呑気な話かもしれない。
しかし今日、「自由」の名の下に行われる野蛮もまた多い。この社会に「部族」はないかもしれないが、経済的な障壁はある。そして流通している魔法は、星占いほど些細なものばかりではない。
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