漫画と言説について


beerちょっと前に描いたやつです。もっと手が後ろに行くか、股関節が下向くかする気がする。
 
 
「漫画を描く路線で行くなら、思想的なことは漫画でやるべきだ」というのは、直接にはあまりいい考えではないと思う。一つには、「漫画を描くなら言説をすべきでない」とか「漫画を描くなら言説はしなくていい」というような、変な制限や開き直りを導くから。もう一つには、当たり前ながら、漫画と言説は代替可能なものではないからだ。

「思想の感じられる漫画」とか「思想を説明するための漫画」というのはあるし、それぞれ面白さや意義があると思う。しかしそのことは、漫画と言説が代替可能であることを意味しない。
 
しかし自分の活動に限って言えば、「思想的なことは漫画でやるべきだ」と最近わりと思う。僕の場合、言説、言説といっても、結局のところ何か有効な活動に繋がるものではない感じが強い。向き不向きというのも、制限や開き直りに近くなってしまう言葉だが、そうはいっても向き不向きがある。リソースの限度もある。

自分は現代社会に生きて、そこに根を持つ存在であり、一方で、心はファンタジーの中にある。ファンタジーの中にあるということが、「折り合いは漫画的なもので付けろ」と要請している気がする。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です